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4th full album “アメジスト” 発売記念インタビュー . Vol.01 / 明かされることのなかった、UNLIMITSの挫折と葛藤

■UNLIMITSがこれまでに広げてきた楽曲のバリエーションをバランスよく出しつつ、今の4人でやれることや音楽で伝えたいことが、凄くハッキリとした作品なんじゃないかと思って。

郡島陽子(Dr&Vo)「自分達では原点回帰というふうに捉えているアルバムなんですけど、ただ単に原点に戻ったというわけではなくて、メジャーのレーベルも経験してきたものもちゃんと詰め込めたんじゃないかな、と思えるアルバムだと思います」

■これぞ!なマイナーコードのメロディックパンクはさらに強烈になりつつ、ストレートなポップソングやダンサブルなリズムもあるし、今までで一番音楽的な広がりのあるアルバムになっていて。

石島直和(Ba)「そうですね。一番、自分達の自然体で作れたアルバムだと思います。凄く自然体なんですけど、今まで吸収してきたものもスッと出せた感じがしていて。自分達でも、『無理矢理感』みたいなものが全然ないと思うんですよ」

清水葉子(Vo&G)「確かに、自分で聴いてみてもバリエーションに富んでるなって思いますね。だけど、どれも『自分達らしいな』と感じられるアルバムだと思っていて。もちろん生みの苦しみはあったけど、凄く正直な気持ちで書けた曲が多くて。たとえば今までは、1曲の歌詞を書き上げるのにも最低1週間くらいかかってしまっていたんですけど、今回は詞を1時間くらいで書けたとか、“リリー”っていう曲では詞が先にできてから曲を乗せていけたとか……そういうスムーズなことが奇跡的に起き続けて。だから、自分で聴くと『すぐ終わっちゃう』って感るくらいスッキリしていて」

■何故、歌詞がスッと出てくるようになったんだと思います?

清水「……自分達だけで始めたインディーズの頃からメジャーも経験してきて、そこで音楽的なことを吸収したり、勉強したりしてきたことがあった上で、今やっと伝えたいことを伝えやすくなったっていう感覚なのかもしれないですね」

大月義隆(G)「やっぱり、自分達4人の手で作り上げられたっていう達成感が今までで一番強い作品だと思うんですよ。だから、最初におっしゃったように、やりたいこと、歌いたいことがハッキリ伝わる作品になったんだと思います。『こうしなきゃいけない』っていうものがまったくなかったし……それは何故かって言ったら、郡島も言っていたように、原点回帰っていうのがあったからだと思うんですけど」

■原点回帰っていう言葉にはいろんな意味があるとは思うんですけが、そのひとつとして、インディーズに戻ってきたっていうことが大きいのかなと

――(いきなり部屋の扉が開き)

Jun Gray「ういーっす! よろしくお願いしますー!」

■!!!

清水「ははははは! Junさん!(笑)」

■えーと………急遽ゲストに来ていただいたっていうことでいいですかね? Jun Gray Records、レーベルプロデューサーのJun Grayさんです(笑)。

Jun「よろしくです(笑)。まあ、たまに喋るくらいにしとくんで(笑)」

■了解です(笑)。今作を作っての感触を順番に訊いてきたんですが、Junさんもいらっしゃったことですし、そもそもどういう流れで今回Jun Gray Recordsからのリリースになったのかを伺っていきたいんですが。

清水「最初は……ちょうど、メジャーとの契約が切れた時に、Ken Yokoyamaのツアーの秋田公演に誘っていただいたんですよ」

Jun「2012年の12月くらいだよね。あの時、最初はUNLIMITSがメジャーと契約切れたってことも知らなかったんだよね」

清水「だって、言い辛いでしょう!(笑)。会って早々に『契約切れちゃいました♪』なんて言えるはずないじゃないですか!」

■はははははは!

清水「(笑)。で、その日のライヴが終わった後にきりたんぽ鍋を突きながら、Kenさんに『実はメジャーとの契約が切れちゃいました』って軽い感じで話したんですよ。そしたら、思っていたよりも健さんが凄く心配してくれいたみたいで。それで、Kenバンドのスタジオの時に、健さんがJunさんに『UNLIMITS、自分でリリースしちゃいなよ』って言ってくれてたみたいなんです」

Jun「そうそう。UNLIMITSに限らず、俺はずっとガールズバンドとか女性ヴォーカルが好きだったから、健はずっと前から『女の子のバンドが好きなんだったら、自分でレーベルを作ってリリースすればいいじゃん』って言ってくれてたんですよ。『特にUNLIMITSを推してる』っていうのもずっと健に話してたしね。それから、秋田で一緒にやった時にUNLIMITSのライヴが凄くよくなってたんですよ。Kenバンドを観にきたお客さんが多いはずなのに、一緒に歌ってるヤツもたくさんいるし、スゲぇきてるな!って思って観てたの。……でも、実はその時にはメジャーは切れてたっていう」

■UNLIMITS的には、その時のライヴはどういう心持ちでやってたんですか?

清水「いやぁ、単純にメチャクチャ楽しかったんですよ。……鎧を脱ぎ捨てられた感じがして。やっぱり、メジャーを離れることになった時に、4人でこれからバンドをどういうふうに動かしていくかを凄く話し合って、とにかく、小難しく考えることなく楽しんでガツッと音を出して楽しもうっていう話になったんです。そしたら、周囲からも『ライヴが変わった』って言われるようになってきて。特に、Ken Bandと一緒にやった秋田のライヴは、そういうスカッとした感じがストレートに出ていたと思うんですよね。……鎧を脱ぎ捨てた感じだったのかもしれない」

郡島「解放されたというか、自由になったというか……。たくさんの人が関わってくれていた時は、その人達のことも考えながらバンドをやっていかなきゃいけなかったし。それが自分達4人だけになった時に、凄く身軽になって攻撃力がアップしたと思うんですよ」

■UNLIMITSをさらによくしようって考える人が増えれば増えるほど、バンドの外からの意見が多くなっていったりしますもんね。

郡島「そうですね。それはそれで、バンドっていうものをいろんな角度から見なきゃいけないんだっていう意味で勉強にはなったんですけど……メジャーの当時は、何をやるにも頭で考えちゃう分量が多かったのかなって思います」

石島「バンド自体のことに関しても、曲に関しても、意見をもらえばもらうほど、それを体現しようとし過ぎちゃっていた感じはあったと思うんですよね。それがなくなって、頭でっかちにならずに内から出てくるものでストレートに勝負しようっていう気持ちになって自然体の表現ができるようになったのが、Ken Bandと一緒にやった頃だったのかもしれない」

大月「……よく言えば、メジャー時代は凄くサポートしてもらっていたと思うし、自分達だけでは到底できないことをやらせてもらっていたと思うんですよ。だけど、ひとつイベントをやりたいって思うだけでたくさんの工程が必要だったりするのはフラストレーションにはなってたと思うんですよ。僕達の身の丈や立ち位置と、会社の意思っていうものが一致しなきゃいけなかったんでしょうけど、なかなかそれが難しいなっていうのはずっと感じていて。それからスッと解放された感じはやっぱりありましたけどね」

■2012年のKen Bandのツアー秋田公演辺りから、UNLIMITSが今作をリリースするまではどういう流れだったんですか?

Jun「『レーベルやりなよ』って言われ続けて、『じゃあどうやっていこうか?』って話していたところでUNLIMITSが自分達だけでやる状態になったって聞いて……まず最初は、俺の好きなバンドを集めてオムニバス(『And Your Birds Can Sing』)を出そうっていう案はあったんですよ。で、大月と『次の年はどう活動していこうか』っていうところから話して、オムニバス作ろうとしてるから考えて欲しいって言ったんですよね」

大月「でも全然、ふたつ返事でOKとはいかなくて(笑)」

■それは何故だったんですか?

清水「……もう、バンドを続けるか辞めるかっていうところまで話してたんですよ」

■えっ!?

清水「メジャーの契約が切れることになった時は、正直、めちゃくちゃ弱ってましたね。『もう、ここまでか』『諦めようか』っていうところまでいっちゃってたんですよ。各々が自分達の生活をどうしていこうかっていうことを考えていたと思うし。だけど、こうしてJun Grey Recordsに声もかけてもらったこともあって、もう一度夢を追いかけようっていう感じになれたんですよね。それで4人の意志が固まったし、そういう気持ちでアルバムも作れて。2012年の末にKen Bandと演った時は、まさに今メジャーを離れるっていう時だったから、いまいち実感がないままKenさんやJunさんに話してたんですけど」

Jun「で、年が明けて2013年に大月と話した時は、大月が『バンドとして、続けていこうかどうか考えてる』なんて言うから……とにかく『もったいねぇよ!』って説得し続けて。俺のレーベルでやるかやらないかっていう話じゃなくて、俺はいちファンとしてUNLIMITSのポテンシャルを知ってるからさ」

■そうですよね。Jun Gray Recordsのオフィシャルインタヴューでも「2ビートのパンクに昭和歌謡が乗ってくるのがガツンとくる」って、UNLIMITSの魅力を熱く語られてましたよね。

Jun「そう、そう。だから、あと2、3年やってみて、それから答えを出しても遅くないんじゃないの?って説得したんだよね。それで自分のところからリリースできたらいいな、とは思っていたけど」

■そうやって口説かれて、大月さんはどうだったんですか?

大月「そうですね……ふたつ返事ではなかった、って言いましたけど、僕達としては別に渋ってるわけではなかったんですよ。それで、Junさんと一緒にご飯を食べた後に横山(健)さんからも電話がかかってきて、凄く口説かれて。……なんか、僕達がめっちゃ渋ってるみたいになっちゃったんですよ(笑)」

■ははははは!

大月「やっぱりメジャー時代にリリースが結構ハイペースだったので、2013年どうしようかって考えた時に、リリースのペースは守らないでもいいと思ってたんですよ。ムチ打って作っていた部分もあったとは思うし……ゆっくりとやっていければいいなって考えていたんですけど、今思うと、声をかけていただいたのは凄くタイミングがよかったなって思いますけどね。……やっぱり、20代前半の頃だったら、目の前のことをただひたすらにやればいいって思えてたと思うんですけど、歳をとってきたり、いろんなレーベルでやらせてもらったりしていい思いをさせてもらったりしてくると、直感だけでは動けなくなってくるなって思ったんですよ。余計なことも考えるようになってくるし。生きていく上で、どういうスタンスでバンドっていうものと向き合っていけばいいのかっていうことを考えるようになってくるというか」

■郡島さんと石島さんは、バンドを続けていくか続けないかっていう話になった時にどういうことを考えてたんですか?

郡島「私は、もうバンドはやらないって思ってましたね」

■そんなにバチッと心が決まっちゃってたんですね。

郡島「そうですね。9.5割くらいは、もう辞めるって思ってました。私ももう30歳を超えたし……石島さんはもうすぐ40だし(笑)」

■人の年齢まで考えたんだ(笑)。

郡島「(笑)。第二の人生、じゃないですけど、人間として、将来バンドがポンとなくなってしまった時に自分に何が残るんだろう?とか、ちゃんと考えたいなって思ったんですよ」

■「バンドをやりたい」っていうこと自体が目的だったのが、メジャーも経験するうちに、バンドが「生業」になって、生活を組み立てていく手段のひとつになっていったのがデカかったんですね。

郡島「そうですね。やっぱり、『先の人生』を考え始めるのが、30歳を過ぎた時だったというか。それが、メジャーを離れるタイミングと重なったのかもしれないし。UNLIMITSっていうバンド自体がもしかしたら必要とされていないんじゃないかっていくくらいまで考えてしまったし」

大月「今冷静に振り返ってみると、メジャーの時は何かにとり憑かれていたなっていう感じはしますね。別に、楽しくなかったかって言われれば楽しかったし、ライヴも悪いライヴをしていたわけじゃなかったし、お客さんとも楽しくやれてたんですけど……」

郡島「うん、わかるよ。なんていうか、自分達自身の魂がどっかにいっちゃってた感じなのかもしれないね」

INTERVIEW BY 矢島大地(MUSICA)
Vol.2 へ続く